平安時代の有名な女流歌人・和泉式部(いずみしきぶ)は夫の心変わりに悩み、貴船神社にお参りをし、貴船川に飛ぶ螢を見て切ない心情を歌に託して祈願されました。
これが名歌「蛍の歌」です。
もの思へば沢の螢もわが身より、あくがれいづる玉かとぞ見る
(思い悩む私の目には、沢を飛び交う蛍の光が私の身体からさまよい出た魂に見えるのです。)
と切ない想いを訴える和泉式部に対し、社殿の奥から貴船の明神が
奥山にたぎりて落つる滝つ瀬の、玉散るばかり物な思ひそ
(滝の水が激しく飛び散るように、思いつめてはなりませんよ)
と優しく諭す返歌で応じ慰めてくれます。
この時、和泉式部は巫女に縁結びの祭(マジナイ)を行わせましたが、後の時代に仏教説話として書かれた『沙石集』には、このときの参詣の様子が詳しく書かれているのです。
和泉式部は巫女に「縁結びの祭=敬愛の祭」を行わせていますが、その一環として巫女は、貴船神社の拝殿で巫女が赤い幣などを立てめぐらし、いろいろな作法をしたあとで鼓を打ち、着物の裾をまくって陰部を露出させてそこを何回も叩くという、卑猥かつ滑稽な感じのする神事を執り行っています。
この後で巫女は和泉式部に同じ作法をすることを説得しますが、これにはさすがの和泉式部も顔を赤面させてその動作をする代わりに歌を詠みます。
ちはやふる神の見るめもはずかしや、身を思とて身をやすつべき
(神様の見ておられる前でそんな恥ずかしい真似は出来ませんわ)
と和泉式部はやんわりと拒否しましたが、この様子を神社の木陰で見ていた夫の藤原保昌は、和泉式部の意地らしい態度に感じ入り、和泉式部を伴って帰り夫婦円満になったというのです。
このお陰か分りませんが、貴船はますます縁結びや恋の神社として男女の信仰と尊敬の念を集めることになったのです。
「沙石集」の著者は「コレヲゾ、格ヲコエテ格ニアタレルスガタナレ」(これぞ格をこえて格にあたれる姿なれ)と結び、もし格を守って、巫女の云うまま巫女と同じ作法をしていたなら、夫からも疏まれて願いが通じなかったであろうと感想を漏らしています。
原日本的な解釈・・・と言えばそれまでかも知れませんが、男女の機微をうまく捉えた解釈だと思います。
しかし昔の人はホントに教養がありますね。(笑)
そんな平安の昔を偲びながら、来年も5月下旬から6月中旬頃にかけて、嵐山周辺ではたくさんの蛍が見れることでしょう。
皆さんも是非ご覧になってください。
「右京区はこんなトコロ」ブログのおススメポイントでした。
★★ 株式会社みつばちハウジングの「住まいの購入マニュアル」はこちらをクリック ★★
★★ 右京区で不動産をお探しならこちら・・・まずは株式会社みつばちハウジングへ! ★★
関西在住の不動産屋さんの日常を描く「すべらない話」ブログです。
バナーを「すべらない話」ブログにリンクしておりますので是非ご覧くださいませ。
尚、上記バナーはリンクフリーです。是非色々な所にお貼りください。
関東の業者さん達の素晴らしい共同ブログです。リンク済みですので是非ご覧ください。