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遠国からの者に配慮して10日まで開催することにしたこと。
こうした配慮にも関わらず参加しない者は、今後茶湯を行ってはならない。
茶湯の心得がある者に対しては場所・出自を問わずに秀吉が目の前で茶を立てること。
そして茶会初日である10月1日は、北野天満宮の拝殿を3つに区切り、その中央に「黄金の茶室」を持ち込み、その中に「似たり茄子」などの秀吉公自慢の天下名物を陳列したとの事です。
下の写真は北野大茶会ゆかりの「太閤井戸」です。
結局、北野大茶会はたった一日しか開催されなかったのですが、今もこの様に伝説的な史跡として残っています。
下の写真は鳥居をくぐって少し本殿に向かって歩くと現れる「楼門」です。
この楼門には月毎に管公の御歌が掛けてあります。
この梅の花の咲く季節、管公(菅原道真公)と言えば下の写真のこの御歌。
「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春を忘るな」
(春になり東風「こち」が吹いたら、その風に乗せて花の春を私が流されてゆく西の太宰府まで送ってほしい、梅の花よ、主がいないからと言って春を忘れてはならぬ。)
当日は受験前ということもあり、大勢の受験生の姿も見られました。
手水鉢もかなり巨大です。
咲き誇る白梅。
牛像と白梅。
満開の白梅の花です。
本当に綺麗ですね。
紅梅もあります。
白梅と紅梅の並木。
皆さん思い思いに梅の観賞をされてます。
綺麗な枝振りですね。
花が咲いた後は梅の実も収穫されます。
管公は学問の神様でありますが、百人一首にも御歌が選ばれており、境内には百人一首の額も掲げてあります。
歌の神様の様な方達ばかりです。
下の写真は月違いの日に掲げてあった菅原道真公の御歌です。
この様な御歌がある様に菅原道真公は「冤罪」を晴らす神様でもあります。
無念さがよく伝わります。(無念の理由は後ほど詳述します。)
新古今和歌集収録の御歌。
「海ならずたたえる水の底までも 清き心は月そ照らさむ」
(海よりもさらに深い水をたたえる水底にも清ければ月が照らすように、わたしの清い心にもいつか無実の罪が晴れ、光が照らしてくれるだろう。)
楼門を入り境内を左に進むと「絵馬掛所」があります。
下の写真の様に初詣や一年中参拝される方の絵馬が掛けてあります。
その数毎年約100,000枚の凄さです。
これだけの数の願い事が書かれた絵馬が下の絵馬掛所に奉納されるとか。
下の写真の門が「三光門」(中門)です。
国の重要文化財です。
門の上部には後西天皇御宸筆の「天満宮」の勅額が掲げてあります。
この字は格好いいですね。(笑)
門の豊富な彫刻の中に日月星があるので「三光門」の名があります。(下の木札の解説より。)
三光門の周辺の梅の花も綺麗です。
満開の梅です。
日当たりも抜群なので梅の花もこの様に綺麗に咲くのでしょうね。
下の写真は御祭神の菅原道真公をお祀りする「本殿」で、桃山建築の代表作で現在の社殿は慶長十二年(1607年)、豊臣秀頼公が造営されたもので、この時作られた中門、東門、絵馬堂、神楽殿、校倉等も現存しています。
また、この社殿造営は父親である豊臣秀吉公の遺志であったと伝えられています。
国宝です。
では菅原道真公とはどんな人物だったのでしょうか?
知るところによると幼少より詩歌に才能があった菅原道真公は55歳で右大臣の位にまで上り詰めますが、延喜元年(901年)、藤原氏の陰謀で謀反の罪をきせられ、無実の罪で九州の「大宰府(だざいふ)」に左遷されてしまいました。
そして菅原道真公は京都に戻れないまま延喜3年(903年)59歳で失意の内に亡くなってしまいます。
そして菅原道真公の遺体は牛車に乗せられて大宰府の北東の三笠郡の辺りに運ばれることとなりましたが、遺体を運んでいる牛が途中にあった「安楽寺」の前で突然動かなくなります。
その場にいた菅原道真公の弟子である味酒安行は仕方なく遺体をその場に埋めて祠を建てて祀ることにします。
これが北九州にある「太宰府天満宮」の発祥となります。
これからが日本史上最大の怨霊の一人と言われる菅原道真公の祟りの話しです。
・菅原道真公が死んだ直後、比叡山延暦寺の第13代座主の法性房尊意の目の前に菅原道真公の霊が現れ、「今から私を左遷に追いやった者達へ復讐のために祟りに行きますが、もしそれらの者達があなたに助けを求めてきても応じないでください。」と告げます。
困った法性房尊意は、「しかし天皇が直々に3回もお願いしにいらっしゃれば応じない訳にはいきませんよ。」と冷静に答えます。
それを聞いた菅原道真公の怨霊はもっともなことだと返事に困ってしまったので、法性房尊意は怨霊の気持ちを鎮めるためにザクロの実を怨霊に食べさせますが、怨霊は食べたザクロを炎にして吐きだし、自分の怒りをあらわにしたそうです。
・菅原道真公を左遷させる陰謀に加わった時の中納言藤原定国が40歳の若さで急死。
・菅原道真公の左遷が決定した際、菅原道真公を助けようと醍醐天皇に直訴するため裸足で駆けつけた宇多上皇の行く手を阻んだ藤原菅根が雷に打たれて死亡。
・菅原道真公を左遷に追いやった張本人の藤原時平の両耳から蛇(青竜)に化けた菅原道真公の怨霊が現れ、その蛇を退散させるために色々と祈祷させるが全く効果は無いどころか逆に蛇となった菅原道真公の怨霊に「無実の罪で配流となり、太宰府で死んだ私は今や天帝の許可を得たので、怨敵に復讐を加えようと決断をした。なのにおまえの息子浄蔵は頻繁に時平を加持祈祷している。どうせ無駄なことだからやめさせよ。 」と一喝されて祈祷師は退散してしまい、とうとう藤原時平は狂死。
・貴族達の集団職務放棄の中心人物だった源光が狩りの最中に底なし沼に乗っていた馬ごと嵌って行方不明。
・醍醐天皇の皇子で皇太子でもあった保明親王が21歳の若さで急死。
・保明親王の死後、醍醐天皇の皇太子となった慶頼王が5歳で死亡。
・延長8年(930)の6月26日、内裏に落雷があって大納言藤原清貫と右中弁平希世をはじめ何人もの殿上人と女官が雷に撃たれて死亡するという事件が起きます。
以下、日本紀略より抜粋原文まま。
諸卿、殿上に侍し、各請雨のことを議す。
午三刻、愛宕山上より黒雲起つ。急に陰沢あり。
俄に雷声大鳴し、清涼殿の坤の第一柱の上に堕つ。
霹靂神火あり。
殿上に侍るの者、大納言藤原清貫衣焼け胸裂け夭亡す。
年64。
また右中弁平希世顔焼けて臥す。
また紫宸殿に登る者、美努忠包、髪焼け死亡す。
紀蔭連、腹燔けて悶乱す。
安曇宗仁、膝焼けて臥す。
哭泣の声、禁止するも休まず。
これより天皇不予。
・この様な出来事を目の当たりにした醍醐天皇はショックで病に倒れ3ヶ月後にこの世を去ってしまいました。
・この他にも原因不明で亡くなられる人が多数で、世の人は菅原道真公は雷神になられたのであろうと口々に噂しました。
・その後に起きた平将門の乱・藤原純友の乱も、菅原道真公の怨霊が背景にあって祟りをなしているのだという噂も絶えませんでした。
その後942年(天慶5)7月13日になって、西京七条に住む巫女の多治比奇子は菅原道真公の霊の「北野に社殿を造り自分を祀るように」との御託宣を受け、邸内に小祠を構えて神霊を奉祀、947年(天暦1)山城国葛野郡上林郷なる北野の現在地に移祭した。
同じ時、近江比良社禰宜良種の子太郎丸に神託があり、北野朝日寺の僧侶最鎮もこの移祭に協力して社殿を設けたのが北野天満宮の創祀との事です。
今現在の世では菅原道真公の怨霊も北野天満宮の社に鎮まり、数多くの信仰篤い人々のお祀りされる対象となっておられます。
下の写真、境内では入試や試験、学業成就のご祈願を受け付けておられます。
お正月や新春には全国からもの凄い数の受験生達が殺到するので、この様に巨大な受付なのでしょうね。
本殿前には天皇家や皇室との関係が深いので、右近の松が供えられています。
本殿前の「右近の松」です。
本殿や拝殿の説明が書いてある木札です。
「左近の梅」です。
本殿の東門です。
御参りを済ませて本殿を出ても境内は広大です。
梅の木もまだまだあります。
綺麗な梅を見つけると思わず足が止まります。
下の写真は親王を祭神として御祭りされている地主神社です。
小さい社の数もとても多いです。
さすがに歴史もあって昔から全国的に名高い神社ですので小さな社もいっぱいあります。。
この神社は本殿の北側になります。
小さくて綺麗な社です。
下の写真は「竈社」(かまどしゃ)の説明札です。
色々な神様を御祭りされていますが、この社は台所の守り神様です。
入口には風情ある松があります。
広い境内をゆっくり見て回れば2時間位はあっと言う間です。
見どころ満載です。
これも紅梅の綺麗な一枚。
満開の白梅。
それではここで一つ質問です。
下の写真は何をする所でしょう???(笑)
正解は・・・・・
車の御祓いをする場所でした。(笑)
そして境内最後の写真は下の東門の写真です。
この東門も国の重要文化財です。
門の飾りが独特で綺麗だったので一枚パチリ。
この境内には宝物館もあり、毎月縁日のある25日と観梅・紅葉シーズン、1月1日、12月1日、4月10日〜5月30日に開館しています。(大人料金300円)
重要な宝物は常時展示はされていない様なので、展示物を確認されることをおススメします。
この宝物館には国宝「北野天神縁起」や源氏の重宝「鬼切の太刀」(重要文化財)、豊臣秀頼公が寄進した堀川国広作の名刀があります。
下の写真が「鬼切」(鬼切丸)の太刀です。
名前の由来は源頼光が京都の大江山の酒呑童子を退治したときにその首を切ったものとされているからです。
以来、この太刀は源家重代の家宝となり数々の歴史を経て最上家に伝わり、最上家より北野天満宮に奉納されました。
今回の様に京都の色々な歴史上の方々や社寺の歴史を振り返る時、日本の歴史や地域と密接に繋がっている気がしてなりません。
昔に学べることも数多くありそうです。
皆さんも是非一度京都の天神さん「北野天満宮」に御参りしてみてください。
周辺には食べ物屋さんやお土産屋さんもいっぱいありますので食事や買い物には困りませんよ。
本当におススメです〜。
追伸・・・
今回はかなり長いブログになりました。
最後まで読んでいただいた皆様に感謝申し上げます。
ありがとうございました。
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