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そしてこの一条戻橋は橋占の名所でもありました。
橋占(はしうら)とは偶然そこを通った人々の言葉を、神の託宣やお告げと考えた占いの事で、橋は異界との境をなすと考えられてしました。
『源平盛衰記』巻十によれば、高倉天皇の中宮建礼門院の出産のときに、その母の二位殿が一条戻橋で橋占を行いました。
このとき12人の童子が手を打ち鳴らしながら橋を渡り、生まれた皇子(後の安徳天皇)の将来を予言する歌を歌ったといわれています。
その童子は、安倍晴明公が一条戻橋の下に隠していた十二神将の化身であろうと書かれています。
安倍晴明公は十二神将を式神として使役し家の中に置いていたが、彼の妻がその顔を怖がったので、晴明公は十二神将を戻橋の下に置き、必要なときに召喚していたという。
戦国時代には細川晴元により三好長慶の家臣・和田新五郎が、この一条戻橋で鋸挽きにされ、安土桃山時代には豊臣秀吉により島津歳久と千利休の首級が晒されました。
また秀吉のキリスト教禁教令のもと、1597年には、日本二十六聖人と呼ばれるキリスト教殉教者は、ここで見せしめに耳たぶを切り落とされ、殉教地長崎へと向かわされた。
嫁入りや葬式で渡ってはいけないという習慣があるのとは真逆に、第二次世界大戦中の応召兵とその家族は、「無事に戻ってくるように」と願ってこの橋に渡りに来ていた史実もあります。
そして下の写真が式神君です。
この式神はコロボックルみたいで可愛いですよね。
誰かに似てる気が・・・。(笑)
式神は、和紙札の状態(式札と呼ばれる)で、使用時には鳥や獣等へ術師の意志で自在に姿を変えるというように描かれることが多いのですが、護法童子という神仏の姿形を取る式神も存在しているようです。
下が昔からの式神の図です。
ただ晴明公の奥様が「気持ち悪い」と言っておられたそうなので、女性に受ける姿形ではないのは確かな様子ですね。(笑)
そう言えば、荒俣宏の著作の映画化版「帝都大戦」では、映画「エイリアン」をデザインしたギーガーが、式神をデザインして話題になりました。
下の写真の中央左上がその式神「護法童子」です。
当時突然この式神が映画に登場した時は、余りにも斬新過ぎて、劇画調の「北斗の拳」の漫画に「ドラゴンボール」の悟空がリアルに登場した位、違和感アリアリでしたが。(笑)
最後に・・・
長い文章をここまで読んでいただいた読者の方に㊙情報を2つ。
㊙でもないかな?(笑)
同業の不動産業者様の奥様が遠方より京都観光に来られ、この晴明神社にご案内させていただき、境内の全てのパワースポットを巡っていただき、お土産にご自分の気に入ったネックレスを購入し帰宅されたところ、急激に運気が上昇し、家内円満になったとの報告をいただきました。
「信じるも信じないもあなた次第です」とは良くいいますが、実際に身近に起こった驚きエピソードです。
後、あまり知られていないようですが、当社のある嵐山渡月橋近くに晴明公の墓所があります。
当社から歩いても2〜3分のところです。
その墓所を取材した時のブログはこちらです→クリック
嵐山にお越しの際には足を延ばしていただいて是非お訪ねくださいませ。
安倍晴明公も喜ばれるはずです。
今回は「右京区はこんなトコロ」オススメの最強パワースポットでした。